大正区史(昭和58年3月31日発行 編集:財団法人大阪都市協会発行:大正区制施行50周年記念事業委員会)から引用しました。
「面積9.15平方キロメ-トル(南北の長さ約4.7キロメ-トル、東西の長さ 2.94キロメ-トル)に及ぶ大正区は、大阪市の西南部に位置して大阪港に面し 、区の三方を木津川、尻無川、岩崎運河に囲まれているため水運の便がよく 各種工業が集まり臨海工業地帯として発展してきた。
大正区はO・Pゼロメ-トル地帯が多かったため、過去再三にわたり高潮の 被害を受けたが、その後盛土を伴う土地区画整理事業や防潮堤、防潮水門な どの整備によって、現在では水害の恐れははほとんどなくなり、高層住宅の 建設が進んで、職住調和のとれた町づくりが進められている。
区の中央部の千島地区は、面積11万平方メ-トルの丘陵公園(千島公園) が完成し、標高35メ-トルの港の見える丘「昭和山」を中心に、総合調査 、体育館、コミュニティ-広場を配し、背後に林立する住宅・都市整備公団 高層住宅群とともに新しい都市美を形成し、コミュニティ-づくりの拠点と なっている。
道路交通網は、南北幹線の本田大運橋線拡幅工事と東西幹線の国道43号線 (尼崎平野線)新設工事が完成、橋は当区南部重工業地帯と西成区を結ぶ千本 松大橋の完成に加えて、大正区-港区間、大正区-住之江区間の新橋架橋も着 工され、無橋地帯が解消する。」
◆区域「大正区の土地は、江戸時代以前から続いてきた三軒家、難波島と、江戸時代 以後木津川、尻無川の河口に開発された新田と、さらに明治、大正時代に造成 された埋め立て地によって形成されている。
このうち、新田は、泉尾、炭屋、千島、今木、平尾、中口、上田が江戸時代 中期に、南恩加島、北恩加島、小林、岡田、千歳が同末期に開発され、埋め立 て地は船町、鶴町、福町の全部と南恩加島、平尾の各一部で埋め立てが完了し た大正末に、ほぼ今の大正区の区域が確定した。
(添付ファイル:新田開発と埋め立て html形式)
当区は江戸時代、摂津国西成郡に属し、幕府の直轄地として代官の支配下に あったが、明治維新後、大阪府司農局に所属し、明治2年摂津県(のち豊崎 県と改称)・兵庫県を経て大阪府に所属、同5年地域割により西成郡第2区に 所属した。
明治34年4月大阪市に編入、西区の一部となり、大正14年4月港区が 西区から分区の際、港区の一部となっていたが、昭和7年10月1日、港区か ら分区独立し大正区が成立した。」
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